そのろくでもない昼下がりは、テリーと初めて寝ちゃった夜からひと月くらい経ったある日、ふいに訪れた。

 午後から買出しに行くつもりで、宿の板敷きの床に座り込んで道具のストックを確認していたら、袋の底からラックの種が三つ転がり出てきた。
 世の中には奇妙な効能を持つ種子の類が少なからず存在し、例えば食べると魔力が強まる木の実だとか、煎じて飲むと頭が冴える種だとかは、学者や薬師や呪い師たちによく研究されている。一方で効果効能の程が明確でないものもあり、ラックの種ってのはそっち寄りで、なんとなれば眉唾物の代名詞みたいな扱いだ。とはいえ希少価値は高いし、なにしろ研究が進んでいないもんで学者の元に持ち込めば大いに歓迎される。それでレイドックに持ち帰ろうとずいぶん前から取っておいたのだが──その日、オレはふとした気の迷いで、転がり出てきた平べったで円くて薄青い種を、なんとなくぽりぽり食べてしまった。それがことの起こりだった。
 しばらく経つと気分が妙に高揚してきて、なんだか嫌な予感がし始めた。ついでくらくら目が回って、とうとうヘタりこんでしまい、こりゃマズイなと思っているところに──テリーが帰ってきた。
 彼はぎょっとして、なにごとかと訊いた。そしてオレがラックの種を食べたいきさつを説明すると、呆れた様子でこれ見よがしにため息をついた。
「あれは人を酔わせるんだ。知らなかったのか?」
「初めて聞いた。でもあんな小さな種、たった三つで……」
 みっつ?! とテリーは語気を荒げた。
「そんなに食ったのか。もう買物はいいから寝とけよ。買出しリストある? 替わりに行ってきてやるから」
「大丈夫、具合悪いわけじゃないんだ。むしろいい気分だし。お前、たまに優しいよな」
「いい気分だと? そりゃ結構なこった、ばかって怖いな。それで、リストは?」
 ……しかし、基本的には優しくない。褒めて損しちゃった。
 残念ながら買物メモを作る途中だったので、開け放した窓から吹き込んだ風に舞って部屋の片隅に落ちた紙切れには、一行『薬草/不要』と書かれているのみだった。テリーは役立たずのメモを見て舌打ちしたが、それ以上はなにも言わなかった。

「買物はまた明日にしよう。ラックの種だなんつって、ロクなことありゃしない」
 オレは悪態をつきながら立ち上がろうとしたが、足元が覚束ずにふらついてしまった。それで近くにあった木の椅子の背もたれにつかまろうとしたら、今度は椅子ごとバランスが崩れた。椅子は大きな音を立てて倒れたけど、オレのほうはテリーが襟首を掴んで支えてくれたので転けずに済んだのだった。
「……すみません」
「どういたしまして。みっともないな、千鳥足じゃないか」
「あの種、なんて言うか、相当キツいなあ。オレそんなに弱い方じゃないんだけどな」
「三つも食えば誰だって目ェ回すぜ。いいから寝てろよ」

 言いながら彼はオレを寝台の固いマットレスの上にポイと投げた。ベッドにうつ伏せに寝転がると、ちょっぴり楽になった気がした。
 オレは重ねた腕を枕にしてテリーを見やった。彼はすでに酔っ払いには興味を失ったらしく、装備品の手入れにかかろうとしている。しばらく眺めていたが、知らん振りだ。

「ねえ、こっちおいでよテリー」
 試しに声をかけてみたら、彼は振り向きもせずに「真昼間から酔いどれてるなよ」と素気なく答えた。
「王子の誘いを断るとは、生意気な奴だな」
「だったら相応に振る舞って欲しいもんだね」
「いいじゃん、なにもしないからさぁ」
 テリーはこちらを見て一瞬目を剥いたが、さすがに馬鹿々々しくなったのか、苦笑いを浮かべた。
「おい、そりゃないだろレック。いくらなんでも下衆の台詞だぜ」
「ちぇ、貴公子だっての。昼から酔ってなにが悪い」

 それからテリーは思い直したらしく、磨きかけていた盾を散らかしたままオレの寝台の横に来てしゃがみこんだ。手を伸ばしてその形の良い唇に触ってみたが、彼は表情一つ変えやしなかった。指先に触れた唇は少し乾燥している。彼は無意識に唇を舐める癖があるのだ。そのまま相手の腕を引くと、テリーは特に抗いもせずベッドに上がり、オレの隣に並んでうつ伏せに寝転がった。
「しまったなあ」とオレは言った。
「なにが」
「なにもしないって言っちゃった」
「そうだな、貴公子だもんな。下衆だけど」
 言いながら彼は笑ったが──しかし、不意に笑い止めて真顔になり、「なんでお前なんだろな」と呟いた。
 テリーの気まぐれの本意が判然しなかったので黙って相手の言葉の続きを待っていると、彼はいきなりオレの上に乗りかかってきた。
「──神に選ばれた勇者だと?」と低い声でテリーは言い、人差し指をオレの鼻先に突きつけた。「癪に触るじゃないか。最強の剣はお前のものだった。ラックの種食って目ェ回してる間抜けのくせに」
 あまりに唐突な彼の言動に、普段だったら動揺していたかもしれない。しかし折良く(あるいは悪しく)、酔いが回っていたせいで不意討ちにもまるで動じやしなかった。オレは、身体の上に馬乗りになっているテリーの後頭部に手をかけて、鼻と鼻がくっつきそうになるくらい間近に顔を引き寄せた──相変わらず見惚れるほどに端正な容貌だ。
「そうだね。英雄譚の主人公も、伝説の剣の所有者もオレだ。……妬ましい?」
 酔い任せに焚きつけちまったが、しかしテリーは鼻で笑っただけだった。
「ばか言え。主役なんてまっぴらだ。それに、名書は紙筆を選ばず、だぜ」
 オレは声を上げて笑ってしまった。めちゃくちゃだな! なんて酷い、しかし彼らしい言い草だろう。それから相手の頭の後ろにかけた手にほんの少し力を入れて、乾いた唇に口付けた。テリーは素直に応じてきた。彼のキスはいかにも手慣れていて上手で、油断するとついうっとりさせられてしまう。

 唇を離すと、テリーは口を開いてなにか言いかけたが、結局目を瞬かせただけでなにも言葉にし
なかった。オレは、さっきの不意討ちをちょっとだけつついてみようと思った。
「気に食わなかったんだ、オレのこと」
「ラミアスの件に関してはな。ハナ明かされたうえ、オレには装備できないってんだぜ。……くッそ、思い出したら腹立ってきた」
 それはもういいだろ! とオレは苦笑した。
「……だけど、気に食わない男と寝てみたわけ?」
「まあな」と悪びれもせずに答えてから、彼はにやっと笑みを浮かべた。「最強の剣に選ばれた奴がどんなセックスするのか興味あったし」
 オレはさすがに返答に詰まって、相手の顔をまじまじと見つめてしまった。まったく、どこまで本気なんだか分かりゃしない。
「……なんだよ」とテリー。
「ひッどいなあ。カラダ目的で近付いたのかよ」
 テリーは(否定だか肯定だか知らないが)生意気にフンと笑った。オレは彼を抱き締めたままころんと横に転がって、今度は相手の上に乗りかかった。
「それで?どうだったんだ、ラミアスの勇者様に抱かれた感想は」
「さあ。どうだったかな」
「……思い出させてあげようか」
 テリーは目を細めた。
「なにもしないって言ったくせに?」
「そんなの、下衆の常套句さ」
 今度はテリーが笑う番だった。

 それから遠慮なしに相手の服に手をかけようとしたら、テリーは怖い顔をして「おい待て、窓を閉めろ」と言った。
 まど? と、オレはなんとなしに反復した。そういや開いてたな。
「どんな神経してんだテメェ。この前も開けてただろ!」
 ……神経について、よりによってテリーに批判されてしまった。
「開けてたってか、開いてたんだ。いいじゃん、お前、声出さなかったし」
 テリーは頬をさっと上気させた。
「我慢してたに決まってるだろ、ばか!」

 あんまりからかったら蹴り跳ばされそうだったので、それくらいにして窓を閉めに行った。そしてそのあとすぐに、窓は閉めておいたほうが収穫が多いってことを知った。


 ラックの種の効能があったかどうかは、果たして解らないままだ。




おしまい